kawasinnn日記

ただの大学生。映画、netflix、アニメ。特にMCU、エヴァ、テラスハウス。 語彙力、文章力低め。低頻度。

自分らしくとは

前回の自分の

 

kawasinnn.hatenablog.com

 この記事で自分自身の「普通」に対する考え方、見方が変わり

 

もっと深く知りたいと思うようになりました。

 

 

そこで自分は今回性的少数者LGBTの方々が受けている社会的普通による

 

生きづらさの原因は何かを自分自身知りたいと思いました。

 

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そこで今回読んだ本が

 

ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた

 

という本を読みました。

 

この本の内容はジェンダー研究の大学ゼミである

 

一橋大学社会学佐藤文香ゼミ生が、

 

友人や知人から投げかけられたジェンダーに関する「問い」に悩みながら、

 

それらに真剣に向き合ったQ&A集です。

 

(ここから本の内容を含む感想を述べています)

 

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この本を選んだ理由として、世の中には様々な生き方、考え方の人がいることを

 

前回の記事により学びました。

 

その様々な人が男女という大きく分けられた2つに振り分けられ、

 

それぞれの役割や行動に制約を受け、

 

「生きづらい」世の中になっていると思いました。

 

 

この本は大学生がQ&Aの回答を出しているので

 

わかりやすいし、専門家でなくとも内容を理解できる

 

一冊なのではないかと思いました。

 

気軽に手に取れ、読みやすい一冊だと思います。

 

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  私がこの本で一番印象に残ったことは、

 

自分たちが普段何気なく使っている言葉

 

何気なく行っている行動にも、

 

男女の差を生んでいる言動があり、

 

そうした言動で

 

「生きづらく」

 

なっている人々もいるということを理解できました。

 

 

 

具体的な事例としては

 

「女子高の意義は何なのか」というところで

 

 

共学の場合、

 

学級委員長は男性

 

副委員長は女性といったことや、

 

 

番号順で分ける際に、

 

男性が前

 

女性が後ろ

 

といった環境で多くの時間を過ごす場合、

 

男性は前に出るもの

 

女性は一歩下がるもの

 

として男女の差が出てきてしまっている。

 

 

 

このように知らないうちに

 

男女で差別してしまっている場合がある。

 

女子高の場合、

 

こういったすべての役割が女性なので

 

こういった問題がなくなることが女子高の意義だということ。

 

 

 

共学と女子高のどちらが良いと主張したいわけでなく

 

どちらにもメリット、デメリットがあるということ。

 

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 男女の差別が社会的に生きづらくしているだけでなく、

 

経済的にも生きづらくしていると

 

この本を読んで思いました。

 

男性は会社

 

女性は専業主婦

 

といったことで

 

女性が男性に依存しなくてはならないのは

 

当然のこと。

 

こういったことでも男女の差が生まれている。

 

そもそも女性が専業主婦になるのも、

 

女性は会社などで育休などのため役職につきにくく

 

給料が上がらなく

 

会社を辞める選択が多くなっている。

 

 

 

現代においては

 

こういった経済的な男女の差は理解され

 

減少傾向になってきていると思いますが

 

まだまだそういった考えが根強く残っていると思いました。

 

 

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この本を読んで、

 

人間を男女の二分化で

分類すること自体出来ないことだと思いました。

 

 

「身体的な差異=男女の違い=男女で二分」

 

という前提を疑うきっかけにもなりました。

 

 

身体的にも男女の二分で分けられていると思いがちだが

 

世の中には様々な人がいて

 

この二分に属さない人達もいることがより理解できました。

 

この男女の二分は、

 

その属さない人たちを「生きづらく」していると思いました。

 

 

誰もが性別にかかわらず生きていくには

 

「思い込みの排除」

 

が必要だと思いました。

 

 

また多数は、少数派で物事を考えるのではなく、

 

自分が他人を傷つけてしまったり、

 

排除したりしてしまっている可能性を頭に置いて生きていこうと思いました。